京都 建築家 一級建築士事務所 アーキフィールド建築研究所
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■ 設計への思い入れ

私たちの「住まい」を取り巻く環境は、デパートや展示場、カタログの中から選ぶ商品として、「住まい」は「建てる」ものではなく「買う」ものになってしまっているのが現状ではないでしょうか。買う基準は、広さ、交通の便、価格といった社会通念や経済原理に影響された「選択肢」であり、顔型、性格の違う人間が似たり寄ったりの個性のない画一的な「住まい」で画一的な「暮らし方」をしているのが私たちの日常のような気がします。
人の暮らしは、「衣・食・住」の三要素で成り立ちます。とりわけ「住」、つまり「住まい」は大事な生活基盤の要素です。ライフスタイルが多様化している現代、「自分スタイル」を大事にされていますか?もうすでに日本は「住まいづくり」において大量生産、大量消費の時代は終焉し、「心から安心して住み続けることのできる、自分スタイルの住まい」を求める、本物追究の時代が到来しています。
当然、街づくりとしても「住まい」は、その土地の気候・風土に合っていなければなりません。とにかく、「住まい」は長持ちさせて、永く住み続けなければなりません。そのためには「基本がしっかりしている」はもちろんですが、最も大事なことは「住まい手」がその「住まい」に愛着が持てるかということではないでしょうか。
この要素は、我々「建築家」にとって最重要課題です。私はこのことを、考え続けています。5年、10年、20年と月日が経って「飽きないね。良くなったよ。」と言われるような建物づくりを目指します。そこで以下に、私がいつも「設計」で心がけている事柄を述べさせて頂きます。

■「自然」が与えてくれる豊かさ

◆風

    ●風を住宅内に取り入れることによって、換気はもちろんですが、カビ・ダニの発生防止や臭いの除去効果があります。
    ●風は「演出家」。木や水や土のように実体もなければ、光や音や匂いのように発生源もありません。木や水や光が「役者」であったならば、さしずめ風は「演出家」です。風が吹くと、庭の木々の葉は擦れて音を出し、軒下の風鈴は鳴り、水面には波紋ができ、花の匂いを運んできてくれる。このように風ほど、五感を楽しませてくれるものはないと思います。京都の「坪庭」などを見ていると、先人達は本当にうまく自然と付き合っていたのだと、つくづく思う次第です。

◆光
    光が当たれば影ができる。夏は日陰で涼をとり、冬は光の当たる所を選んで暖を取る。また縁側で昼寝をすれば、とりわけ気持ちが良い。庭にあっては、木々に光が当たれば影を落とす。池があれば光が反射する。家の中に光が差し込むと、影と日向の陰影ができ、木々の影なら風によって葉は吹かれ、家の中の光や影は踊り出す。このように、光も同じように楽しみを与えてくれるものなのです。
◆水
    庭に池があれば、冬は凍り冬の風情を増幅させ、夏は水の上を風が吹けば、涼を運んできてくれる。また、水に反射した光が明るさをくれ、水が踊れば光も踊る。そこに生物がいるならば、より一層「暮らし」を楽しいものにしてくれるのではないでしょうか。
◆草木
    緑は人の目を休ませてくれて、精神的やすらぎを与えてくれる。風によって葉が揺れ擦れる音を発し、光によって踊る影を落としてくれる。楽しそうですね。やはり、なくてはならない「自然」の要素なのですね。
■ より快適な暮らしのために

◆立地条件 −「場所」の意味するものー

    建築とは、その時代の社会的、歴史的、文化的背景、気候風土、そこに生活する人々の営みなど、様々な背景によって構築された「場所の造形」であり「自然現象」です。 可能な限り「場所」とのスタディ(対話)を繰り返し、プラス因子を最大限に増幅させマイナス因子をプラスに変換させうる建築を追及し、住み手の心の奥に潜む「場所」への願望や芽を見つけ出し、これらを具体的な形にしなければなりません。 まず、「敷地を読む」ことから始めます。 住み手の思い描く生活スタイルを基に、「心地の良い場所」を見つけ出すことが必要なのです。
    人は誰しも、暮らすならば良い環境に住みたいと願うものです。空気、眺望が良いことは勿論、しかも山の手が良いと思うに違いありません。しかし、住環境よりもこれまで培ってきた地域環境や「人情」を重んじるほうが暮らしやすい場合があることを忘れないでください。
◆高齢者・障害者への対応
    高齢者、障害者に対しては、バリアフリーの考え方が基本にありますが、すべてをバリアフリーと考えることは危険だと思います。 その必要性は、住み手のライフスタイル、将来生活への考え方など生活すべてに対する取り組みを、尊重すべきだからです。 それには、本人を含めた家族の将来的な介護の考え方も初期段階で十分に検討すべきですし、建築家としてその場に積極的に参加しなければならないと考えています。
◆確実な構造設計
    建築家の職務には「意匠設計」「構造設計」「設備設計」がありますが、一般のお客様が住宅の設計を依頼されるのは、ほどんど「意匠設計」が得意な建築士の方々です。 その建築士の方々が、それぞれ「構造設計」「設備設計」の専門家にその部分を発注しているのが実情です。しかし、木造住宅の場合2階建てまでの構造設計については、 外部の専門家に委託せず、自社内で構造や設備の設計をし、現場で施工会社の勘や経験に頼って施工しているというケースが多いように思われます。 しかし、最近の耐震偽装問題が象徴しているように、本質的な問題がそこにあるような気がします。 私の場合、専門は「意匠設計」ですが構造がどんな構造であろうと、階数が何階建てであろうと、構造は「構造設計」の専門家に、設備は「設備設計」の専門家に 必ず依頼しております。「意匠」にとって「構造」と「設備」は切っても切れない関係であり、つまり、それらのどれかひとつでもおろそかにすれば、 住まいに支障をきたすことは間違いありません。これら3つがしっかりと設計され、3つが噛み合ってこそ、強くて、しかも美しい「住まい」が完成できるものと考えます。
◆室内環境への配慮 −暮らしを「楽しむ」ことへの提案―
    ●庭(中庭)
    先にも述べましたが、人間は緑や風、光、水、土とうまく折り合いをつけることが、精神的な健康につながります。室内にいると温熱環境は直接身体に対して「暑い」とか「寒い」と感じますが、「雨が降っている」、「風が吹いている」、「照る」、「陰る」ということを感じることも「暮らし」には欠かせない栄養素なのです。 「住まい」には、この恩恵を受ける場所が必要なのではないでしょうか。そこで私は「庭(中庭)」を提案します。暮らしにおいて自然に接する大切な場所なのではないでしょうか。しかもそこには、草木を植えたいものです。四季と共に移ろい、風にそよぎ、光を踊らせ、露を宿し、夏の日差しを遮る。 花や実は虫や小鳥を呼び、落ち葉は土を肥やします。落ち葉は掃除しなければなりませんが、それを苦痛と捉えるかどうかは人それぞれですが、いうならばその作業は「自然」と共に生きることに値するのではないでしょうか。
    ●玄関
    どのような「住まい」でも、玄関(出入り口)は表に顔をだすもの。 家は「住む」という行為の日常の場なのであり、玄関はその家に見合ったものでなければならないと考えます。 家族の出入りのたびに「わが家」に住むことの心地よさを感じることができ、「ホッ」とできる場でありたいものです。 しかも玄関には、「ただいま!」、「行ってきます!」に応えてくれる「何か」が欲しいと考えます。 それに、訪問者に対しても、訪ねてくることが楽しくなるような、さりげない設えやもてなしの気持ちがどこかに表れている玄関でありたいと考えます。
    ●開口部・建具(戸)
    昔の日本の住まいの建具は、「暖簾(のれん)」のような感覚であったように思います。 冷たさが伝わってくるような金属製の建具より、ほどよく気密性、水密性があり、日本の伝統的な美しさや重厚さを与えてくれる木製建具を出来るだけ使いたいものです。 木製の窓越しに庭(中庭)の木々を眺める。考えただけでも暖かさが伝わってくるようですね。 (法的条件で建設場所により、どうしても使えない場合があります。)
    ●照明
    住まいの「明かり」は、あまり光々と明るい必要がないような気がします。 新しいとか便利とかという言葉に魅かれ、よく考えもしないうちに、モノとして溢れかえったような気がするのは私だけなのでしょうか。 「明かり」を効果的に使い、楽しむという文化が成熟しないまま、モノだけを手に入れてしまったような気がします。 夜は暗めで落ち着いた時間があっていいように思います。昼と同じことが出来ないほうが、「暮らしている」という実感がより一層強くなるように思います。これが暮らしの「豊かさ」の再認識なのではないでしょうか。
    ●素材・色
    仕上げとして素材や色をあまり多く使わないほうが良いように思います。 たとえば玄関を入り、廊下を歩いてリビングルームへ。 その空間がゆったりとつながっていく中で、素材や色が流れるように続いていれば、精神的にかつ安全面でも安心のはずです。家によって、場所によって、差し込む光によって、同じ素材、同じ色でも違って見えるものです。 そのような目の錯覚をも大事にしたいものです。 それが、住み手の「感覚の豊かさ」を育んでくれるのではないでしょうか。
    ●和室
    一体何をもって「和室」と称するのか、と言いたいくらい現代住宅の和室は、曖昧になっているような気がします。 畳さえ敷いてあれば「和室」と明確に言えるのだろうか。ほとんどは、来客用とか、お正月用とかいう非日常の場になっているような気がします。 「和室」は、なにか居住まいを正される雰囲気があり、「ホッ」とすると同時に「無」の自分と向き合うような雰囲気にさせてくれます。そこに座っていると、普段見えないものが見えてくることもあります。 そんな「和室」の神秘の部分を理解し、暮らしに「静」と「動」の必要性を知って頂きたい気がします。
    ●台所(キッチン)
    最近はシステムキッチンが主流で市場を賑わせているようですが、納まりとして型にはまりすぎて、逆に自由度がないような気がして、しかも高価だという声をユーザーから聞いたりもします。 あくまでも選択は自由なのですが、主婦が一日のうちの大半を過ごされる所だけに、充実したキッチンをという思いでシステム化したものを入れられるのかもしれませんが、果たしてそれが、ユーザーにとって本当に使いやすいものになっているのだろうかと疑問に思うことがあります。 使いこなしている気になっているだけで、実は自分が合わせているということも考えられます。 自分だけのキッチンをと考えられるのならば、使い勝手を十分に検討して、それに合わせた作り付けの自分だけのキッチンでも良いような気がします。 よく考えて、快適さを追究していきたいものですね。
    ●階段
    以前から犯罪の低年齢化等の原因のいくらかが「家庭」にあると指摘されています。 その解決策として、子供や家族のコミュニケーションの促進が挙げられ、その意味で住まいにおいて、階段の設置場所が問題視されています。 つまり、階段は上下階をつなぐだけのモノとして考えるのでなく、家族のみんなが集う場所からアプローチできるところに設置し、住まいの中での家族そのものやそれぞれの領域をやわらかく結びつける装置として捉えるべきだと考えます。
◆「個」から「地域」へ −「健全な」地域社会とはー
    ●地域文化・建築文化の継承―失われたコミュニティーの再構築―
    いつの間にか、わが国の多くの都市の景観は、慈しみを守り育てようという住民の支持が得られるようなものでなくなっているように思います。 建築は、先人達の資産としてあらゆる人々に引き継ぎ、また未来の子供達に資産として継承していかなければなりません。良い建築文化を残さなければならないのと同時に、残せるような建築文化を創っていかなければなりません。 さらに、現在の私たちの建築活動は、未来を築く子供達が元気に、健やかに育つための環境を保障するものでなければならないのです。今、子供達の生活環境は、健全に育つための環境として良いものになっているのでしょうか。 次の時代を創る子供達のための良い育成環境を私たちは整備しなければならないのです。建築は大地の上に建設されるもの、その大地の風土、歴史、文化によって育まれた景観、生活様式、建築文化を大切にし、新たな建築文化はその上に構築し継承されるべきなのです。 ましてや、魅力ある街づくりを皆は要求するはずです。ならば、建築の集合体としての都市空間は地域の文化を表現する共有財産であるという考え方に立ち、個々の建築デザインは各々が独立した存在ではなく、地域の特性を踏まえ街並みや自然と調和をとり、それらと景観的、生活的、精神的、文化的な関係を築く魅力ある環境を整えることに私たちは、責任を持つべきなのです。 勿論、自動車社会の現状を見据え、生活者、歩行者に対して安全で住みやすい街にしていかなければなりません。それに、これら継承のための手立てとして、建築に使われた知識、技術、資機材や完成した建築と都市の環境に係わるすべての情報が、正確に次の時代に伝達されるように、情報基盤を社会的に整備しなければならないのです。

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